川の整備遅れを猛省すべきではないのか

今回の肱川の水害で、野村ダム操作規則の問題や、豪雨前の流量操作について漫然と低流量で流した判断ミスの可能性が議論されている。被災者・遺族の立場に立って、厳しく検証して行かねばならない。それとともに、山鳥坂ダムに傾倒して川の整備が遅れてきた「治水」の問題を厳しく見ることが必要ではないか。

野村ダム管理所が発行している「NOMURA DAM 野村ダム」(2018年1月印刷)という冊子がある。この7ページを見ると、野村ダムは当初、毎秒500㎥~1,000㎥流せる操作規定であったものが、毎秒300㎥に減らされた経緯が書かれている。冊子には「500㎥/s以下の流量でも堤防の整備が十分でない地区では浸水被害が発生していたため、洪水調節開始流量を500㎥/sから300㎥/sに変更しました」とある。この変更時期は平成8(1996)年6月とあるから22年前のことだ。(図は「NOMURA DAM 野村ダム」(2018年1月印刷)7ページ下段より)

冊子にあるように下流の堤防整備を早く完了していれば、500㎥/s~1,000㎥/sに戻せていたはずだ。22年間、県や国が一貫して堤防設置や河道掘削などの重要性を認識し、治水計画を立てて遂行していたら、今回ほどの大量放水で野村町が沈められることは避けられたのではないか?
私が初めて知事選挙に立った15年前、地元で「川の土砂が堆積している。堤防のないところに早く堤防をつけて欲しい。山鳥坂ダムはいらない」の声は強くあった。今回の水害のあと、15年前に私にその話をしてくれた方が、15年前と同じ切実な声をあげていた。私は衝撃を受けた。国及び愛媛県政は、山鳥坂ダムに傾倒して、川の整備が相対的に弱いままだったのではないか。

洪水被害を長年研究してこられた京都大学の今本博健名誉教授の話がテレビで放映された。第2期中村県政の目玉政策に目を通した。私の疑問は確信となった。