亡くなった人は復興では帰らない

今回の選挙で初めての雨の中、11月12日午後、野村町に入る。乙亥(おとい)会館の前で演説した。野村ダムは、当初、大雨や台風の前の放流水量が最大毎秒500~1000トン流せていたが、建設から14年目に毎秒300トンに減された。下流の「堤防整備が十分でない」ための洪水が原因だった。以後22年間ずっと毎秒300トンのままだった。つまり、「堤防整備が十分でない」ままだったのだ。

私は「1年でも半年でも早く堤防整備を完了すべきだったはず。野村ダム当初の流量に戻っていれば、今回の雨でも少しは早くダムの水を抜き、毎秒1800トンもの大量放流にならなかったのではないか。河川整備を怠ると住民の命と暮らしが守れないことを痛感する!」と語った。

演説の途中から「野村ダム放流を検証する住民の会」の和気数男さんが横で傘を持ってくれた。演説後、和気さんのすすめで野村町の中心部をマイクで語りながら歩くことになった。宣伝車がゆっくりと後をついてくる。

西予市野村支所の庁舎前で、締めくくりの演説。22年も下流の堤防が十分整備されていない現状は、県政も国も猛省しなくてはならない。山鳥坂ダムに傾倒して、河川整備がおろそかになったのではないか。「亡くなった方の命は復興しない」ことを語る時には、胸が一杯になり、言葉に詰まった。抜本対策に全力をあげる!声を絞り出して演説を終えた。